| 木原 愛 1999年12月より、2001年11月まで、リキシャ県の人権委員(District HumanRights Officer)として勤務していました。 人権委員の主な仕事は、1999年の人権侵害の調査、現在進行中の人権問題の監視・報告と、政府その他の関連機関へのアドバイス、人権教育の実施と援助などです。 99年の人権侵害調査にあたっては、実に300人以上の住民が、自ら報告にやってきました。各村を訪ねたときなどは、何十人もの人々が列を作り、現地の人権委員と私を根気強く待っていました。その多くが、突然拉致されていなくなった夫や子供を捜してくれというものと、残忍な殺戮の様子を聞いたという目撃証言でした。本当に皆が、公正な司法の措置を待っているのでした。 しかし、彼らの話を聞き、多くの証言を収集した後、まだ問題が多々残りました。第一に、裁判所が未整備であるということです。インドネシア時代、裁判所は全てインドネシア人、主にジャワ人が運営しており、東チモール人の弁護士・検事・裁判官は皆無でした。そこで、UNTAET(国連東チモール暫定政府)が入った後、法学部を卒業したての若者達が次々と職についたわけですが、勿論一人として経験がありません。彼らにしてみれば、共に働く外国人のスタッフとは、意見の合わないことも多く、暗中模索の状態で、虐殺の裁判など、非常に大きなケースをいきなり扱うことになったわけです。当然、間違いもあり、経過も遅々として進まないものです。住民の、こうした司法の状況への理解度も低く、その経過の遅さに不満は拡大したようです。また、人権侵害のほとんどが、インドネシア軍の軍人によって計画されたものであり、インドネシアに戻ってしまった加害者を、東チモールで裁けないということが、何より住民、特に被害者の家族の間で不満の種となりました。 こうした99年の人権侵害調査の一方で、現在進行中の人権問題も多く扱いました。何と言っても1番多かったのが、女性の人権についての問題です。99年の人権侵害については、その暴力をどうしても許せない、と言っている同じ東チモール人の男の人が、家庭内では日々妻子に暴力をふるっていたりします。また、家庭を持った男の人が、他の未婚の女性と子供を持ったりするケースも、表面的にはカトリック信仰の非常に強いこの国で、かなり頻繁に起こりました。また、子供の人権という観念はないに等しく、子供たちは騒げば殴らたり、何かすれば怒鳴られたりしているようでした。その根底にあるのは、根強い、男性上位・年上上位の信仰です。インドネシア軍による暴力については、それを許せない人権侵害と見る東チモール人が、疑いもせず女性や子供に暴力をふるう、そのケースの多さには閉口しました。 こういう現状と、人権教育プログラムを通じて彼らの表現する、「人権」の観念への信仰とは、まだまだギャップがありました。人権教育では、そういうギャップに特に焦点をあてて、人権意識の向上を図りました。しかし、新しい国で、彼らが新しく手に入れた、自分達で色々な社会の決まりごとを決定できる権利。それをどう使って、彼らの社会を改善していくかは、彼ら次第です。ゆっくり、手探りでも、彼らが彼らのやり方を確実に手にしていくことを希望しています。 |
| 東チモール・リキシャ県の人権委員を終えて |