投稿:石川徹(アムネスティ日本会員・なごや栄グループ所属)

《評価と批判の視点(1)》

1948年に国連で採択された世界人権宣言は、その内容を真っ向から反対する意見はほとんどなく、50年程前に人類が到達した共通の理念とみなすことができる。
また、アムネスティは「世界人権宣言が世界中でくまなく遵守されることを目指している」(アムネスティ入門1997年)ので、本稿では、世界人権宣言を物差しとして司法制度改革審議会の中間報告について検討したい。
尚、人権に直接関係しない項目は省いた。具体的にはp11途中〜p26途中までとp29途中〜p52途中まで。

中間報告に関連して、世界人権宣言のなかで特に重要と思われる視点は以下の通り。

◆1.「人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権を保護することが肝要である」(前文)
◇ポイント◇
中間報告は、「法の支配によって人権を保護する」制度を目指しているかど
うか。

◆2.「何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、又は追放されることはない。」(第9条)
◇ポイント◇
中間報告は、恣意的な逮捕、拘禁、起訴ができないような制度を目指しているかどうか。

◆3.「刑事責任が決定されるに当って、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受ける(中略)権利を有する。」(第10条)
◇ポイント◇
中間報告は、「独立の公平な裁判所」を目指しているかどうか。

◆4.「すべての人は、直接に又は自由に選出された代表者を通じて、自国の政治に参与する権利を有する。」「人民の意思は、統治の権力の基礎とならなければならない。」(ともに第21条)
◇ポイント◇
中間報告は、司法を「人民の意志」にもとづく制度にしようとしているかどうか。


《評価点》

1.日本の司法制度を改革しようとすること自体が評価に値する。(p1)

2.「法の支配の理念を基軸にして」「司法をして統治主体たる国民の確かな基盤の上に立たしめることを目指している」こと。(p9)

3.「行政に対する司法のチェック機能を充実させる」ため「行政訴訟制度の改革が不可避」としていること。(p52・53)

4.公判審理における直接主義・口頭主義を積極的に肯定していること(p57)

5.被疑者に対する公的弁護制度の導入を目指していること(p57)

6.少年審判手続きにおける公的付添人制度を目指していること(p58)

7.「国民が裁判内容の決定に主体的、実質的に関与」することを認め、国民の評決権を認めていること。(p62)

8.「裁判官選任過程への国民の参加(関与)」を肯定している。(p63)

9.「公訴権行使に民意を反映させていくことも重要である。」としていること(p64)


《評価と批判の視点(2)》

すべての人が自国の政治に参与できることを前提にして「法の支配によって人権を保護する」という理念が成立する。したがって人権を保護する上で参政権は不可欠な権利となっている。日本国憲法では、国民の公務員選定・罷免権を「国民固有の権利」と規定している(15条)。しかしながら司法の世界で市民が権利を行使できるのは最高裁判所裁判官の国民審査のみである。

人権にとってもっとも脅威となるのは、国家の持つ物理的な強制力であることは論を待たない。軍隊・警察・裁判所・検察・拘禁施設などは常に人権団体の関心事となる。
 人権を保護する上で重要なことは、物理的な強制力を一人一人の市民がコントロールすることである。具体的には自衛隊の出動許可(自衛権行使の許可)、警察を管理する都道府県公安委員会委員の選挙、裁判官や検察官の選挙など、物理的な強制力を持つ公務員に対して国民の公務員選定・罷免権を実現させることだろう。

《批判点》

(1)中間報告は国民の司法参加を口にしながら、裁判官選任について市民の選定・罷免権を明確にしていない。

※警察の求めるままほとんどフリーパスで逮捕令状を発行し、代用監獄に勾留することを許可し、勾留延長を認め、否認する被疑者の保釈を不許可にし、99%有罪の判決を出す、まったくと言っていいほど人権に配慮していないのが日本の裁判官である。彼らを選任したのが市民でないということが彼らの人権感覚欠如と無関係ではないだろう。

(2)国民審査が×印し以外は信任票にするという不公正な内容になっていることについて言及しないこと。

※司法の正統性は市民の信託にある。その信託を制度的に保障しているのが国民審査であり、ズルをして信任されたかのように装う現在の司法に正統性がない、と言っても過言ではないだろう。

(3)人権を根本的に制限する公訴権を持つ検察官を公務員選定・罷免権の対象にしていないこと。

※中間報告では検察官の起訴独占は「全国的に統一かつ公平な公訴権の行使を確保し」(p60)とあるが、どのような事実を以て公平な公訴権の行使が行われていると証明できるのだろうか。甲山(かぶとやま)事件では、1975年に証拠不充分による不起訴処分となったものが、新しく着任した神戸地検の責任者によって78年に起訴がなされてる。

(4)迅速な裁判を実現のためは検察の上訴を制限すべきであるが、上訴の制限に否定的なこと。

※前述した甲山裁判では、85年神戸地裁で無罪判決が出されたにもかかわらず検察の控訴により、90年神戸高裁の差し戻し判決、98年神戸地裁の無罪判決、99年大阪高裁の無罪判決となり、14年間も裁判が継続している(無罪確定に21年)このことから、無罪判決に対する検察の上訴を制限しなければ、被告人の人権が守られないことは明らかだろう。

(5)陪審制・参審制に基づく裁判はすべての訴訟を対象とすべきであるが、一定の刑事訴訟に限定していること。

※市民の参政権(人権)として認められているデモや集会については、その行為を制限する法律(公安条例など)がある。無罪か有罪かは主権者たる一人一人の市民の判断がもっともふさわしい。また、民事訴訟においても陪審制となれば、公害裁判などで住民の権利を守る判決が期待できる。

(6)国連規約人権委員会の最終見解について、「直ちに具体的結論を得るのは困難である」としていること。

(7)検察官の起訴独占、検察官への訴追裁量権を認めていること。

※人権侵害を行うのがしばしば政府であることを考えれば、行政に属する検察官が起訴独占と訴追裁量権を持つこと自体が人権保障上危険な状態である。公訴をするかどうかは被疑者の人権保障に深く関係すことであるから、一人一人の市民が決定する起訴陪審制度が望ましい。

(8)中間報告では検察審査会の機能拡充を主張するが、現在の検察審査会が不公正な機関であることに言及していない。

※検察審査会は、被疑者及び弁護人の意見を聞かずに議決ができる。これは明らかに公正さを欠いているので、現在の検察審査会法は改正すべきである。改正の方向としては、起訴するか否かの決定権を与え起訴陪審制とすることが望ましい。尚、中間報告は検察審査会の機能強化について、起訴の権限のみを想定しているようでこれは人権上問題がある。



※司法制度改革審議会の中間報告は下記のホームページに掲載されています。

http://www2.kantei.go.jp/jp/sihouseido/index.html





司法制度改革審議会中間報告の評価点と批判点


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