| 「野宿労働者の人権を守る会」編 1.名古屋における野宿者の全体的動向 名古屋は、東京と大阪の中間に位置する日本第4の大都市です。名古屋も他の日本の大都市同様、1990年代初めの「バブル崩壊」以降、長期的な不況の中、野宿者数が急増し続けています。 1980年代までの名古屋においては、野宿者はだいたい200人程度だったとされ、その居住地は主に、名古屋駅周辺とその近くの笹島(ささしま)と呼ばれる寄せ場(日雇労働者の就労・生活の場)周辺に集中していました。 この頃までの野宿者のほとんどは、そうした日雇労働者、つまり不安定な雇用形態で、しばしば劣悪な労働条件の下に置かれながら、日本の建設産業を末端で支えてきた単身の男性たちです。彼らの多くは仕事を求めて日本各地を渡り歩くため、定まった住居を持たず、名古屋駅周辺のドヤ(簡易宿泊所)で生活していましたが、中には仕事がなく、困窮した場合には野宿せざるを得ない人がいました。 笹島には、東京の山谷、横浜の寿町、大阪の釜ヶ崎など他の大規模な寄せ場とは異なり、ドヤ街(簡易宿泊所が密集し、日雇い労働者が生活する街)と呼べるようなものはなく、1970年代までは特に名古屋駅構内が代表的な野宿の場所となっていました。 1990年代以降、不況による日雇労働求人の減少と、日雇労働者たちの高齢化により、彼らの多くが慢性的な失業状態に置かれるようになりました。加えて深刻な不況は、日雇労働者以外の、従来ならばより経済的に安定していたと思われた層からも野宿者を生み出すようになり、次第に野宿生活が恒常化してきました。 こうした背景によって、名古屋における野宿者数も、1990年代以降急増し続けています。名古屋の野宿者支援団体「野宿労働者の人権を守る会」が、毎週の夜まわり(夜間パトロール)で数えてきた名古屋の野宿者数は、1990年頃には200人程度だったのが、1992年には300人、1994年には500人と爆発的に急増し、現在は1500人くらいにものぼります。2001年現在、同会の夜まわり区域以外の野宿者数も含めると、名古屋には推定で1700〜1800人は野宿者がいると推計されます。 2.居住形態と生活の変化 こうした野宿者数の増加に伴って、居住地も従来の名古屋駅・笹島周辺から名古屋市中心部の栄(さかえ)地区周辺へも広がり、現在ではさらに広域化し名古屋市全域に及んでいます。この居住地の広域化と野宿生活の長期化は、その居住形態と生活のあり方を変えていきました。 ?ダンボールから小屋へ かつては名古屋駅周辺を始めとする、ビルの軒下や地下道へ下りていく階段などで、毎日の移動が可能な段ボールや毛布のみを使って寝るのが中心でしたが、近年では多くの野宿者たちが公園などにテントや小屋を建てて、事実上定住するようになっています。 さらに名古屋の特徴として、ビニールシートやテントのみの簡易なものだけではなく、木製の頑丈な小屋が多いことがあげられます。そうした小屋は近年さらに大型化が進み、小さなアパートとも言える程度の規模にもなっています。中には自動車用バッテリーを使って電気をひき、明かりをつけたりテレビを見たりと、一般的な生活が出来るようなものもみられます。そのような小屋が集中している公園周辺などでは、しばしば地域住民や行政と対立する場面も生じるようになりました。 ?コミュニティの形成 こうした定住化は、野宿者たちのコミュニティ形成を促進しています。村落などに存在する従来型の地域共同体ほどの強固なコミュニティではありませんが、地域ごとに自生的なコミュニティがいくつも生まれ、野宿者たちが互いに支え合って生活しています。 ? 収入の変化 日雇労働求人の減少は、現金収入の道である仕事の種類も変化させ、現在では空き缶や粗大ごみなどを収集して売る廃品回収業が大勢を占めるに至りました。このことが居住地の変化、つまり寄せ場・笹島からの遠隔化や、廃品を保管するスペースがある公園や高架下での定住の増加と関連していると思われます。 最後にもう1つ、名古屋の野宿者の特徴として、出身地のローカル性を挙げることができます。他の寄せ場同様、野宿者の出身地は北海道から沖縄まで全国にわたっています。しかし1998年に支援団体が実施した調査では、名古屋市を含む愛知県と、隣接する岐阜・三重・静岡を合わせた4県の出身者が、全体の4割近くを占めるということがわかりました。これは、他の寄せ場では見られない特徴であると言えます。 3.名古屋市の福祉行政 これから述べる行政の対応は、名古屋市を事例に上げて説明していますが、程度の差こそあれ、全国どこの地方自治体でも、おおむね同じような状況に置かれています。 国や地方自治体の野宿者対策は、「野宿者をいかに排除するか、その大義名分として、福祉がある」といっても過言ではありません。野宿者は、社会の中でもっとも貧窮している人々なのですから、真っ先に行政による福祉的施策の対象となるべきはずですが、行政は、そうした施策を無視し、「排除」の対象としてみているのが現状です。 野宿者に対する施策として、まず考えられるのは「生活保護」です。生活保護法は、日本国憲法第25条に基づいて、生活に困窮するすべての人に健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的としています。しかし現状では、名古屋市行政による違法としか言いようのない運用が行われています。野宿者に対して、出来るだけ生活保護費がかからないように、生活保護をしなくてよいように考えているのだろうと思わざるを得ません。 ?生活保護認定・廃止の実態と問題 生活保護は、生活保護法にうたわれる文言通りに解釈をすれば、住居がない人でも保護を受けることが可能であり、働く能力があっても生活に困窮していれば保護を受けることが可能です。しかし現在、名古屋市の「福祉事務所」(生活保護の窓口)は、野宿者に対して、そのような運用はほとんどせず、「働ける能力のある人には保護の要件はない」と言い切っています。 つまり、野宿者自身に労働能力や意志があっても、日雇い仕事が減っていて就労の機会自体が少ないため、安定した現金収入を得る手段がないにもかかわらず、「働ける人は自分で仕事を探してなんとかやってくれ」という対応をしているわけです。社会的経済的状況を無視し、野宿者の身体的要件だけで、生活保護の認定の可否を判断し、一見して働けると判断した場合には、自分で仕事を探せと突き放しているのです。 また失業したことによる生活保護は、3ヶ月間の求職活動実績を判断して決めるとしています。つまり、働けるといわれた人は、公共職業安定所発行の「求職カード」を見せるなど、仕事を探している証拠を見せろと言われるのです。仕事も見つからないままであるのに、病気やケガなどが治り「働けるようになった」という理由で生活保護を打ちきられたという話もよく聞かれます。(?傷病者に関すること参照)保護廃止は、本来であれば、最低生活以上の生活ができるだけの収入が安定して得られるようになって初めてなされるべきですが、行政は身体的要件だけで保護を廃止しています。 ?高齢者 高齢者に対しては、65歳以上であれば老人ホーム入所が勧められますが、空きが少なく1年以上の待機のため、とりあえず「生活保護法」による更生施設に入所します。しかしこれも身体的障害がある場合に限られているようです。老人ホームではなく居宅保護になる場合もあります。 しかし高齢であっても65歳未満の場合は、身体的状況によっては更生施設「植田寮」(うえだりょう)への入所も可能ですが、その他の場合は「自分で仕事を見つけて働くように」と言われ、生活保護を受けられません。高齢 の野宿者が仕事を見つけるのは、上述のように健康な野宿者であっても難しい中、非常に困難が伴いますが、そのことは考慮には入れられていません。 ?傷病者 傷病者に対する生活保護法の適用は、他のケースよりも比較的容易に承認しているようにもみえます。病気や怪我をした野宿者に対しては、医療機関の費用を生活保護によって負担し、受診して要入院の場合は入院をすることが出来ます。 実際に多くの野宿者が、この制度を適用し、通院したり、投薬を受けたりしています。さらに入院には至らなくとも就労困難と判断された場合は、「更生施設」か「救護施設」に入所するように勧められます。 しかし入院や施設入所については、野宿者を受け入れる病院が少ないため、入院が必要な病気にもかかわらず、事実上入院を拒否されるケースもあります。また「更正施設」や「救護施設」は物理的に入所者可能数が少ないために、長い間待たされるケースも少なくありません。こういった病床数や施設数の絶対的不足の原因は、名古屋市が、医療機関などに対して、野宿者を受け入れるよう説得する義務を怠っているともいえます。 退院・退所後のケアもそれ程考えられていません。本人がその後の明確な希望を持っていないと、行政は「あとは自分でやってくれ」(保護廃止)と言うことが多く、そのため退院後も施設入所などが出来ること、施設退所後はアパート入居などが出来ることさえも知らされずに野宿生活に戻る人も多くいます。つまり、生活保護適用の問題全般に渡って、行政は積極的に生活保護を適用しようとはしておらず、どういった施策が他にあるのか説明する義務を怠っており、希望を持つことが困難な状況の人に対して明確な援助を提示することもなく、あえて希望を持たせないようにしていると言えます。 以上の不十分な生活保護の適用に加えて、名古屋市は野宿者に対して法外援護(国の法律に基づかない名古屋市独自の施策)も行っていますが、それらもやはり極めて不十分としか言いようがありません。野宿者たちが特に困窮する年末年始だけは、役所に「臨時相談所」が設けられ、臨時宿泊施設「船見寮」(ふなみりょう)への入寮が行われていますが、近年は入寮者が増加し続けていて居住環境が悪化しています。国が主導する新たな野宿者対策として、既に東京などでは始まっている「自立支援事業」も、名古屋市では現在のところ全く進んでおりません。 4.名古屋市の就労対策と排除の動き 野宿者問題の抜本的な解決を考えるなら、言うまでもなく野宿生活の最大の原因は失業であり、野宿者たちが仕事に就けるようになるための労働施策も不可欠です。しかし現状では、国と愛知県による一般向けの職業安定所の業務ぐらいしかなく、野宿者に対する独自の職業斡旋はしていません。 名古屋市が、こうした野宿者の自立を支援する施策を積極的にとろうとせず、野宿者の排除や追い出しを目的とした施策を繰り返しているのは、明らかです。その象徴的な出来事として、1997年に若宮大通(わかみやおおどおり)公園の「冒険とりで」、翌1998年には観光施設「ランの館(やかた)」周辺に住む野宿者たちが、行政によって強制排除された事例が上げられます。 前者は、高速道路のガードの補修工事を名目に、当時そこに住んでいた何十人もの野宿者を追い出し、再度立ち入れないようにフェンスを張りました。後者は、名古屋市が建設した観光施設の来場客にとって目障りだからという理由で、「行政代執行」という手続きに基づいて、周辺の野宿者十数人を排除しました。こうした一方的な排除が、野宿者たちの問題に対する何の解決策にもならないことは言うまでもなく、名古屋の野宿者や支援者は、そのつど強い態度で立ち向かい、闘ってきています。 3.名古屋における野宿者支援活動 1974年のオイルショックにより全国的に失業者や野宿者が増える中、名古屋では76年、学生、会社員、教員など15名が、名古屋駅周辺で野宿を余儀なくされている日雇労働者たちにおにぎりと味噌汁を配り始めたのが、名古屋での野宿者支援運動の起源といわれています。さらに、日雇労働者には病人が多いことから、医療活動も開始しました。これらの活動は最初、3カ月で打ち切る予定でしたが、その後3カ月延長され、さらに日雇い労働者の賃金不払い問題などにも取り組むようになりました。このように野宿者支援の活動が広範になっていくなか、炊き出し、医療、労働などの専門分野にそって、新たな団体などに活動が引き継がれていきました。 ?名古屋炊き出し連絡協議会 炊き出し(食事の無料サービス)は、文字どおり野宿者の命を救うための基本的な活動です。宗教系の団体を中心に少なくとも10以上の団体が炊き出しを続けています。今では、高速道路下や公園などでほぼ毎日、いずれかの団体が炊き出しをしています。そのうち「名古屋炊き出し連絡協議会」は、キリスト教の教会や関係者らが、76年に始まったおにぎりの提供などの活動を引き継いで今でも、毎週月・木曜日に、約300食以上を配給しています。炊き出しの場では、同時に「笹島診療所」(後述)が生活・医療相談をしているほか、無料散髪や囲碁・将棋などの娯楽も提供しています。 ?笹島診療所 笹島診療所は、医療活動を引き継ぐ形で1985年、活動の拠点として名古屋駅前に「笹島労働者会館」が設立されると同時に結成されました。現在は専従職員1名のほか学生、教員、会社員、主婦、医師らが、日雇労働者や、野宿を余儀なくさせられている人たちの命と権利を当事者たちと共に守り、獲得することを目的に、野宿者に対する「生活・医療相談」や、医者による無料診察、湿布や軟膏なども配っています。また生活・医療相談を受けた野宿者たちとともに、福祉事務所を訪れ、生活保護などが受けられるよう働きかけています。こうした日常活動はまた、野宿者との出会いのきっかけにもなっています。 ?笹島日雇労働組合 笹島日雇労働組合」は、1978年に結成された「名古屋寄せ場労働者有志の会」が前身で、1982年に労働組合として結成されました。日雇労働者への不払い賃金の問題や、労働災害の責任をとらない悪質業者などに対して、労働者とともに、業者に対して交渉や抗議などを続け、日雇労働者の権利を守っています。 ?野宿労働者の人権を守る会 野宿者たちの寝場所を訪れて話をする、毎週金曜日の「夜まわり」(夜間パトロール)を中心に、様々な活動を展開しています。大きな特徴としては、野宿者自身が積極的・主体的に活動へと参加していることが挙げられます。同会の活動については、続く「4.野宿当事者による主体的取り組み」で詳しく紹介します。なお夜まわりは、名古屋市中心部を回っている同会の他にも、毎週土曜日に「名古屋夜回りの会」が、名古屋市周辺に広がるより広域の居住地を回っています。 ?笹島連絡会 これらの支援団体は、活動内容や方針こそ様々ですが、ともに「笹島連絡会」を結成し、横の連携をはかり、各団体合同の活動も続けています。主な活動は、年末年始の「越冬活動」があります。毎年12月下旬から正月明けまで、日雇労働を始めとする仕事がなくなる上に、厳しい寒さにも襲われ、野宿者たちにとっては特に厳しい時期となります。越冬活動は、そんな野宿者たちが共に助け合って年を越し、新しい年を生き抜いていく活力を得るための活動で、連日にわたって炊き出しや夜まわり、生活医療相談などの支援活動が行われるほか、様々な行政との団体交渉や、餅つき・カラオケ大会といった娯楽行事なども催されます。 また毎年8月のお盆の頃には、亡くなった野宿者たちを追悼する「追悼集会」 や、盆踊りなどの娯楽を野宿者たちが共に楽しむ「夏祭り」が行われます。他にも、月1回、名古屋市役所や愛知県庁に対して要求を訴えていく「月例行動」があります。 4.野宿当事者による主体的取り組み 最後に、名古屋における野宿当事者による主体的な取り組みの例として、「野宿労働者の人権を守る会」の諸活動について、詳しく紹介します。1988年、少年による武装襲撃に対して、自衛のために立ち上がった野宿者が不当に逮捕された事件をきっかけに、市民らが、野宿者を襲撃から守るための夜間パトロールを始める形で、結成しました。当初から一貫して野宿者たちの側に立ち、彼らの生活や活動を支援すること、社会に対して広く実情を訴えること、そして究極的には社会をよりよい方向に変えていくことを基本理念にしています。現在では特に、野宿者を一方的な救済の対象としてとらえず、野宿者を仲間としてとらえ、ともに考え、ともに活動することを主眼にしています。 この間、何百人もの市民が同会の活動に参加してきました。参加者は職業、性別、年齢、国籍など、どの点をとっても多岐にわたっています。また、最近は、野宿者たち自身による活動への主体的・積極的な参加が極めて顕著になってきており、もはや現在の同会の活動は、当事者抜きには考えられません。 ?夜まわり活動 夜まわりには、野宿者たちの生命・生活を支えるための活動としての意味だけでなく、野宿者たちとそうでない者たち、そして野宿者同士が出会い、コミュニケーションをすることによって、仲間づくりを進めていくことを主目的にしています。 毎週金曜日の夜、名古屋駅近くの西柳公園(通称・オケラ公園)に集合し、最も野宿者の居住地が集中している名古屋市中心部をいくつかのコースに分かれて回ります。最近の夜まわりでは、野宿者たち自身の参加が非常に多くなり、彼らが中心となって回っているコースもいくつかあります。夜まわりでは、お茶やビラ(冬季には使い捨てカイロや毛布も)を配りながら、野宿者たちと話します。 彼らの健康状態や相談事を聞いたり、差別的な襲撃や追い出しの情報を得たりします。こちらからはビラなどを通じて、彼らの生活に関わる様々な情報を伝えます。体の具合の悪い野宿者には、市販の薬を渡すこともありますが、基本的には福祉事務所に行くことを勧めています。 また、今年からは毎週土曜日にも、夜まわりではなかなか話のできない小屋掛けの定住野宿者たちのところを回る「昼まわり」も始めました。ところで、心ない市民が野宿者を差別的に襲撃したり、追い出したりすることは、日常茶飯事です。襲撃は、野宿者に石や花火やエアガンなどを打ち付けたり、野宿者に暴行したり、小屋を放火したりと、極めて悪質なものも少なくありません。あまりに襲撃が集中的に起こる場合には、多くの野宿者た ちと共に張り込み(見張り)をすることもあります。 ?仲間たちの仕事づくり活動 1999年秋から私たちは新しい活動理念のもとに、野宿の仲間たちの「仕事づくり活動」を少しずつ進めてきました。それは労働行政の無策の中、少しでも仲間たち自身の力で仕事をつくって、閉塞感に包まれた日常を打開していこうというものです。 もちろん、それによって多くの仲間が野宿生活から脱出することは容易ではないですが、ただ閉塞感に包まれて退屈な日々を送るよりは、何かをして多少なりともお金を得られた方がよいのではないか、それによってその後のさらなる就労活動へとつなげていければよいのではないか、そして野宿者たち自身で体を動かして、生きる張り合いや仲間づくりができたらよいのではないか、ということに主眼があります。 これまでの実績としては、中古品などのバザー活動、チラシのポスティング(戸別配布)作業、引っ越しの手伝い、民家の草刈り、建設労働への就労、そして農家への派遣などが挙げられます。何人もの野宿者たちが、これらの仕事に生き生きと取り組み、生きる張り合いを見出しています。しかしながら現状では、まだまだ仕事の機会が少なく、大勢の野宿者に仕事が行き渡るには至っていませんが、こうした仕事づくりにより得た収入によって、新たな就労のための履歴書や証明写真の購入費に当てるなど、実利も得ています。今後は、既に存在している仕事に野宿者たちを結びつけるだけでなく、文字通り新たな仕事を創出していくことが、課題と考えています。 ?福祉行動 野宿者に対する行政の福祉政策は、現状では極めて不十分です。本来、最も困窮する者が受給すべき生活保護も、野宿者は住所がないなどの理由によって、医療扶助などを除きほとんど受けることができていません。福祉行動は、こうした現状の打開を目指して、医者に掛かりたいなど様々な要求を持つ野宿者たちが一緒になって、行政が運営する「福祉事務所」(生活保護の窓口)へ行き、生活保護の受給を始めとして、様々な権利を実現させていこうとする活動です。これは、行政手続きの代行を目的としているのではなく、仲間の自発的選択をサポートしていくことをねらいとしています。現状では会の力量不足のため不定期となっていますが、もっと回数を増やし、定期的にしていくことが望まれます。 ?ソフトボール大会 1995年より毎年、春と秋に開催する名古屋の野宿者たちの一大娯楽イベントで、毎回100〜200人以上もの仲間たちが参加し、1日中ソフトボールを楽しみます。試合に参加しない仲間たちも、審判、応援や食事づくりなどで活躍しています。最大の特徴は、会場の準備、チームづくり、ルールの決定、試合の進行、食事づくり、後片づけなど、ほとんどすべての作業が、支援者たちではなく野宿者たちを中心に行われている点にあります。最近の大会では、東京や大阪の野宿者も参加するようになり、当事者運動として、地域を超えたつながりをつくる大きな機会となっています。 ?その他の活動 ソフトボール大会の他にも、同会は他の野宿者支援団体と共に、様々な事を実施しています。先に述べた年末年始の「越冬活動」や8月の「夏祭り」、また毎月1回の対行政行動ような恒例行事だけでなく、東京での「全国行 動」や、昨年行われた「野宿者全国行脚」、そしてこのたびの「東アジア交流」など、最近では他都市の野宿者たちとの交流・共闘も進め、住む場所の違いを越えた仲間同士の顔の見える連帯が生まれてきています。これらの様々な行事を通して、野宿者たち自身の力による、野宿者たちの生活の向上や権利の獲得を目指しています。 文責: 野宿労働者の人権を守る会 |
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