| 湯浅 誠(ホームレス東アジア交流・日本実行委員会) E-mail:myuasa@ha.bekkoame.ne.jp 090-1796-1828 *はじめに 私は東京の野宿者運動を概観するには、活動経験が浅すぎる。したがってここでの紹介は極めて一面的・不十分なものになることを了承しておいてもらいたい。 *発端 東京の野宿者運動は、1994年2月17日の新宿駅西口の一斉撤去に始まると言っていい。1990年のバブル崩壊以後急速に増え始めていた野宿者に対し、「排除し収容する」という伝統的かつ非人道的対応が大規模に展開されたことが直接の引き金となり、「野宿者」「野宿労働者」(運動側が用いている呼称は主にこの二つ)を対象とする大衆運動が開始された。 *担い手 2月17日の一斉撤去の直後から新宿に入って野宿者の組織化を始めた中心的な運動体は主に二つ。山谷争議団といのけん(渋谷・原宿 生命と権利をかちとる会)。山谷争議団は、日本有数の日雇労働者街(寄せ場)・山谷地区で長年日雇労働者の労働運動を組織してきた経験を持つ。他方、いのけんは東京の繁華街である渋谷地区原宿地区を拠点に外国人労働者の支援活動と野宿者支援活動の双方を手がけてきた支援団体。双方の団体の承認を得た有志が、紆余曲折を経て、新宿連絡会(野宿労働者の就労・生活保障を求める連絡会議)を結成し、以後、野宿者運動の牽引車としての役割を果たす。 *活動手法 新宿連絡会が主にイニシアチブを取る形だったが、新宿連絡会、山谷争議団、のじれん(いのけんが98年3月に改組。渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合)の三団体が一貫してとってきた手法が、当事者運動としての野宿者の組織化である。 運動体は当初から「仲間の命は仲間で守る」をスローガンとして掲げてきた。それは、様々な原因で野宿に至った当事者が、お互いに助け合わなければ生きていけない路上において形成してきた当事者間の横の繋がりを活動の基礎に置くことの宣言でもあった。 たとえば、意見集約の場としては当事者を交えた「寄合」が重視された。夜間のパトロール(夜回りとも言う)は、支援者が野宿者のもとを訪れるだけでなく、野宿者自身がパトロールに参加し、同じ境遇にある仲間(運動体の中では、野宿者のことを一般に「仲間」と呼ぶ)に声かけして回ることが常に促された。同様に、炊出しも野宿者自身が作り手となり、支援者と一緒にって煮炊きする「共同炊事」方式が採られた。 これらはすべて、野宿者が活動を通じて野宿者同士の横の繋がりを実感し、同時に、活動が野宿者の横の繋がりに依拠することで野宿者の間で活動の正統性を得ていくための工夫である。大衆運動の「大衆性」は、こうした日常活動での絶え間ない団結確認によって担保された。 また、日常活動の主な対象は、「一人の野垂れ死にも許さない」というスローガンの下、常に最も生活状況の厳しい野宿者に設定された。日常活動の中軸は、どこでも1)炊出し(野宿者の胃袋を支える)、2)パトロール(救急対応が必要な野宿者の発見や、襲撃などへの警戒)、3)福祉行動(病院での診察を必要とする野宿者と地域の福祉事務所を訪れ、窓口職員と交渉し、必要ならば生活保護申請を行う)、4)面会行動(入院したり、施設に入所した野宿者に面会し、個人的な相談ごとを聞いたり、施設の改善要求をまとめていく)、だった。そしてこれら日常活動での頻繁な接触を通じて「仲間づくり」(野宿者の組織化)を図る、というのが基本姿勢だった。 *野宿者対策 こうした「仲間づくり」を通じて形成された大衆運動の力をどこに向わせるのか、ということが次に問題になるが、それを述べるためには、まず野宿者にとって自分の未来を切り開くためのどのような選択肢があるのか、を概観する必要がある。 一、就労 野宿に至る最大の原因は失業である。したがって再就労を希望する野宿者は当然ながら多い(各種調査で8割から9割)。しかし、1)住民票を持たないことから公共職業安定所を通じた求職活動ができない、2)高齢化のため(野宿者の平均年齢は全国どこでも55才前後である)多くの野宿者が経験してきた日雇労働市場に参入できない、3)90年代以降の急激な雇用形態変化(パートタイム労働者が1000万人、全就労人口の20%強を数え、労働組合組織率に並ぶ)のために、路上脱却資金を稼ぐほどの安定した就労に就くことができない、といったことを理由に就労から脱却というルートは個人的な努力ではどうにもならないのが実情である。 公共就労対策は、1)山谷地区にある「労働センター」が高齢(55歳以上)の野宿者向けに「特別就労事業」を行っているものの、現在半年に2回の順番が回ってくる程度の雇用数であり、また、2)東京都が23区との合同事業として新宿区・台東区の二ヶ所に開設(2000年11月)した「自立支援センター(そこに住民票を置きながら求職活動ができる生活施設)」は、都内に8000とも10000とも言われる野宿者に対して150人枠と極めて少ない(ただし、2001年度中にあと3ヶ所、150人規模の「自立支援センター」がさらに開設される予定)。 二、福祉 野宿者は病気になった際に、各区の福祉事務所を通じて病院の診察を受けることができる。しかし入院に至らない場合には、65歳以上の高齢である場合を除いては生活保護法に既定された各種の扶助を受けることはできない。なぜなら65才以下であれば就労能力を活用できる余地があるとみなされるからである。これは生活保護法の文言に則った運用ではなく、法的根拠のない違法な運用である。したがって多くの野宿者は、貧困状態にあるにもかかわらず生活保護法によっては保護されない。厚生労働省はこの運用が適切でないことを認め、年齢制限などを行うことなく生活保護法を適切に運用するよう各自治体に指導しているが、収容施設が十分になく、常時満員状態のために各自治体の生活保護適用状況は事実上進展していない。 生活保護法の適用にまつわるもう一つの問題点は、この収容施設の問題に関わる。野宿者が生活保護を受ける場合、いきなり居宅保護となることはなく、長期(1,2年)にわたる施設収容を経由しなければならない。収容施設では、現物支給が中心で、野宿者に直接支給される現金はごくわずかである。また、4時半門限など管理も厳しい。そのため、せっかく生活保護をとっても施設生活に耐えられず路上生活に舞い戻る野宿者も多い。 三、強制排除 野宿者は常時、道路・公園・施設の管理権者から排除される不安を抱いて暮らしている。管理権者の言い分は「不法占拠だから」。96年1月24日の新宿西口における大規模な強制撤去とそれへの抵抗運動が、東京都の排除を手続上違法と判断する東京地裁判決を導いたことから、また各地での地道な排除反対活動が功奏して、東京都やいくつかの自治体が「対策なき撤去は行わない」旨言明するようになってきているが、それでもたとえば公園の植栽工事を理由とした小規模の撤去などは現在でも跡を断たない。ただし、野宿者の急増が行政の無策に起因しているとの認識はある程度共有されるようになってきており、管理権者の対応も撤去から定期的な一斉清掃でテントの拡大を防ぐという方向へとシフトしているところも多い。 *要求活動 こうした対策内容からも明かなように、一度路上に至れば、そこからの脱却は極めて困難なのが野宿者の現状だった。そのため、大衆行動のエネルギーはこれまで主に対行政闘争へと注がれてきた。中心的な要求内容は、1)就労保障、2)生活保護の適切な適用、3)強制排除反対、であり、また98年4月からは「自立支援センター」の早期開設を求める要求行動で新宿・山谷・渋谷の野宿者団体が全都実(全都野宿労働者統一行動実行委員会)を結成して、一丸となって東京都および23区への対策要求行動を繰り返してきた。 遅きに失し、かつ規模も不十分とはいえ、2000年11月の「自立支援センター」の開設は、それら一連の要求行動の成果である。日常活動で形成した野宿者の組織力を対行政闘争に向けてまとめあげる――これが東京の野宿者運動の原型であると言っていい。 *変化 しかし近年、これまでの活動形態に見直しを迫るようないくつかの変化の兆候が現れている。 一、定住層の増大 ここ1,2年、大阪や名古屋同様、東京でも野宿者の定住化が進んでいる。たとえば、東京東部の隅田川沿いにはすでに1000軒、上野公園には300軒、東京西部の新宿中央公園には150軒、代々木公園には200軒のテント群が形成されており、大きな公園にブルーシートテントというのはすでに東京のごく普通の風景だと言っていい。多摩川や荒川といった主要河川の河川敷にも大型テント(「家」としか呼びようのないものを含めて)が立ち並んでいる。 原因としては、1)野宿からの脱却が極めて困難であるために野宿状態が長期化し、少しでも安定的な居住環境を求める欲求がテント建設という結果をもたらした、2)運動体が強制撤去に対して激しい抗議活動を展開したため、自治体を始めとする管理権者は容易に野宿者を追い出せなくなっている。管理権者の事実上の黙認が一定の手間をかけて住環境を整備する余裕を野宿者に与えている、といったことを挙げることができる。 すでに述べたように、従来の運動体の活動内容は「仲間の命は仲間で守る」「一人の野垂れ死にも許さない」といったスローガンに示されているように「命」に関わるものだった。毎晩ダンボールを集めてきて寝床を作って仮眠をとり、朝にはそこを畳んで移動する、といった移動層が野宿者の大半を占めていた活動初期において、それは切実な要請だった。しかし、そこに運体のエネルギーを集中していた結果、「衣食住」が命を脅かすほどに逼迫していない野宿者に対しては、基本的に「自分でやっていける人」ということで本格的に対応してこなかったのも事実である。毎晩寝床を求めて街を歩き回る移動層が依然として過半数を占めながら、他方でそれを確保した上で「そこから先」を求めている野宿者がいる。定住層の野宿者が求めている諸要求にいかに応えていくか、これが現在問われている。 二、居住地域の広域化 街にはそれぞれ野宿者を許容できる「容量」とでも言うべきものがあるように思われる。渋谷の場合、過去5,6年に渡って1,3―1,5倍のペースで増え続けた野宿者数が、この1年間約500人で頭打ちを続けている。寝場所や食料源となるコンビニエンスストアやファーストフードの軒数によって、これ以上増えたら生きずらくなった誰かが移動する、という見えない調整機能が働いているように思われる。しかし、野宿者の総数は増え続けている。したがって、野宿者は自然周辺地域へと広がる。 野宿者居住地域の広域化というこの現象は、運動体に従来の活動地域を超えた広域的な活動の必要性を痛感させている。また、自分たちの周辺に野宿者が増え始めたことに気づいた様々な人々が、新宿・山谷・渋谷以外の地域でも独自の支援活動を始めつつあることから、そうした諸団体との連携も不可避となりつつある。限られた人材と資源の中でまだ見ぬ仲間との結びつきをいかに作っていくか、担い手もスタンスも異なる多様な人々がともに野宿者運動を発展させていくためにはどうすればいいか、こうしたこともまた現在の課題である。 三、野宿者対策の本格化 行政のような巨大組織は動き出すまでに時間がかかるが、いったん動き出したらその物量・スピードは民間をはるかに凌駕していく……。2000年11月に、決定から4年をかけてようやく「自立支援センター」二ヶ所を開設した東京都は、今年1月にはシェルター・自立支援センター・グループホームを一体とした野宿者の総合対策を打ち出した。「自立支援センター」の残り三ヶ所の開設も、一部を除いて順調に準備されている模様だ。 野宿者運動は、野宿者の組織化を対行政闘争に向けてまとめあげてきた、と書いた。しかし、たとえば「自立支援センター早期開設」を求める運動は、センターが開設することでその目標を失う。もちろん「自立支援センター」の運営には多くの改善の余地があり、それは依然として入所者の深刻な課題であり続けているが、それらは広汎な野宿者の一般的な要求項目にはもはやならない。行政が「遅れている」時はいい。行政が「先へ先へ」と行き始めた時に、野宿者運動はいかに「民間のオリジナリティ」を打ち出せるか。行政施策には収まりきらない野宿者の生の要求をすくいあげ、まとめあげていけるか。大きな課題となっている。 *試行錯誤 以上見てきたように、ここ1,2年の大きな変化の中で、東京の野宿者運動は大きな曲がり角にさしかかっている。運動の担い手たちは、こうした状況の中でそれぞれの関心に応じてそれぞれの問題に焦点を当て、それに向けた取組みを開始している。それはよく言えば活動の多様化であり、悪く言えば活動の分散化である。状況の変化に対応した様々な試みが雑多に展開し始めているが、それぞれがお互いに持つ関係とそれぞれの位置付けは明確とは言えず、時に対立し合うそれぞれの試みの中で皆が全体像を模索している、そういう試行錯誤の時期だと言える。現状に即し、ここではそれらの雑多な取組みを雑多なまま列挙したい。 一、特別立法化問題 野宿者問題が深刻化し、運動体が各省庁との折衝を始めたり、各自治体から国レベルでの取組みを求める声が高まったことなどを背景に、現在自民党、民主党、共産党の各党が野宿者問題に関する研究チームを発足させている。自民党、民主党は野宿者対策立法の法案化に取り組み始めてもいる。「野宿者支援法」となるか「排除立法」となるか、その方向性はいまだ明確とは言い切れないが、野宿者の利益となるように、各党との交渉を含めて立法化過程への介入が模索されている。これは主に新宿連絡会有志によって担われている。 二、保証人問題 「自立支援センター」の開設時入所者は、開設から約4ヶ月を経て、アパートへ転宅する時期に来ている。しかし、低価格の物件が希少なことに加え、賃貸物件契約時に必要な連帯保証人がいないことが一つの障害となっている。貧困問題が経済的な問題だけでなく人間関係の問題でもあることを示すこの課題について、現在、連帯保証人への金銭的支援と入居者への訪問活動を軸とした「保証人バンク」構想が進んでいる。保証人問題が野宿者のみならず貧困者一般に共通した社会的課題であること、路上を脱却した後の横の繋がりを維持していくための諸工夫も路上と同じく真剣に模索する時期にきていることから、その広がりをどこまで現実化できるか、準備が進められている。「自立支援センター」新宿寮の面会行動を担っている新宿連絡会およびのじれん有志によって主に担われている。 三、特別就労事業拡充問題 高齢化した日雇労働者の就労保障として、山谷地区にある「労働センター」を通じた「特別就労事業」が来年も継続される。東京都は、この事業拡充を謳ってはいるが、現実の雇用指導に当たる周辺区の動きが十分ではない。一般の労働市場ではもはや受入られないが十分な就労意欲を持っている野宿者の雇用確保に向けて、現在周辺区への働きかけが模索されている。山谷地域の諸運動体によって進められている。 四、広域パトロール・福祉行動 野宿者居住地域の拡大に伴って、従来運動体の手が届かなかった地域へのパトロールやそこで出会った要保護者の福祉行動を担っていく動きが運動体間の連携によって追求されつつある。新宿連絡会の協力で池袋のパトロール・福祉行動・炊出し、東京西部の三多摩地域でのパトロール・福祉行動などが実現している。また、のじれんは、渋谷周辺の世田谷・大田・多摩川地域のパトロールと福祉行動を始めた他、四谷周辺・日比谷公園でおにぎりを配りながらパトロールしている団体と共同で東京駅のパトロール、福祉行動に着手している。その他、独自にパトロールや炊出しを実施している団体も多数あり、諸団体の柔軟で広汎な連携によって、より広汎な地域での野宿者フォローが模索されている。 五、地域を超えた連携 「食」や「医療」の分野で地域を超えた連携が進みつつある。「食」については渋谷・山谷・四谷や他県の野宿者運動体有志の協力などにより去年「フードバンク」が結成され、都内を始めとした広汎な地域へ炊出し用の米の供給を行っている。また、「医療」に関しても、各地の路上医療相談を担っている医療従事者の会合が今冬から定期的に開かれており、路上医療活動の充実と野宿者自身の医療知識の向上を目指した取組みが始められつつある。これらは各現場団体の負担軽減という実益とともに、特定テーマを焦点としつつ社会一般に野宿者問題への理解を求める、という社会化の役割を担ってもいる。 六、独自の仕事づくり 野宿者の「自立」が疑い得ない自明のことのように唱えられているが、野宿者にアクセス可能な就労形態が事実上底辺下層労働でしかないこともまた事実である。しかも野宿者であること/あったことを隠して就労するなど、引け目や孤立感がつきまとう。たしかに就労して世間的に認められたいが、しかし非人間的な労働でコキ使われたくない、という思いは多かれ少なかれ誰でも持っている。しかしただでさえ「就労意欲のない怠け者」というレッテルを貼られているだけに、そうした選り好みは「ぜいたく」「わがまま」と否定的な評価しかされない。こうしたジレンマを野宿者の多くが抱えている。 非人間的な労働よりも仲間とともにありたいと思うこと、そしてやりがいのある仕事を求めること、これは当然の人間的欲求だという考えに立ち、小さくても自分たち自身でコントロールしていく仕事を野宿者の共同性に依拠しながら進めていく試みがいくつか行われている。農家への援農や市民集会での弁当販売、フリーマーケットでの衣類販売や市民団体事務所の清掃などが主にのじれんによって試みられてきた。そして現在、労働者の経営参加というワーカーズ・コープの発想と経験を参照しながら、アルミ缶回収事業に従事する野宿者(都内で1000名を超える)とともに協同組合方式での事業化が構想されている。これは、アルミ缶回収で生計を立てている野宿者の多く住む山谷および渋谷地域の有志によって担われている。 *今後の方向性(私見) 雑多な試行錯誤が繰り返されているのが現状とは言え、それを足がかりに今後を展望していくことが必要である以上、各人が各人なりのビジョンというものを抱いているだろう。ここでは、その一つである私の意見を述べておきたい。これは、東京の野宿者運動の見解でないことはもちろん、のじれんの見解ですらない個人的な意見であること、ご注意頂きたい。すでに述べたように、野宿者運動は日常活動で形成してきた大衆性を対行政闘争へと集約してきた。それは諸社会運動の古典的な常套手段であり、それなりの必然性を持っていた。東京都が野宿者の総合対策を打ち出してきたからと言っても、それがすべての野宿者にとって十分であることはあり得ない。 国の責任も明確になっていないし、単年度予算を繰り返す、正規の法体系外の弥縫的な臨時対策にすぎない。行政の不十分さを批判的に争点化していく作業はいつまでも続くだろうし、必要なことだろう。しかし、行政が動けば動くだけ、行政もいろいろと苦労しながらやっている、という印象が一般化すればするだけ、対行政闘争の持つインパクトが大きく低下してくることは否めない。対行政闘争は、ある意味では「行政と民間のパートナーシップ」と同じである。対立的か協調的かというベクトルの向きは正反対だが、「行政のやるべき仕事」という同一フィールドをめぐるやりとりであることに変わりはない。行政との対決か協調か、という二者択一に縛られると、「運動体のやるべき仕事」というオリジナリティを見失うことになりかねない。 「運動体のやるべき仕事」、原則を言えば、それは「野宿者が望むことを自分で手に入れたものとしてできるように環境を整えること」だと言っていい。ポイントは三つある。 1)路上脱却したい野宿者が路上脱却でき、テント生活を望む野宿者がテント生活を続けられるように強制排除をさせない、そうした「選択肢の拡大」、 2)そしてそれが与えられたものとしではなく、自らの力で手に入れたものとして切り開かれること、「自己決定」、 3)批判すべきところは批判し、手を組むべきところは手を組み、それらが可能になる環境整備を貪欲に追求するという「柔軟性」と(あえて言えば)「狡猾さ」。 より具体的には、1)は行政の施策だけでなく、運動体自身の仕事づくりや事業化、また排除されないための「根の張った」野宿生活の構築を含め、多様な「プログラムの企画・立案・実行」、2)は大衆行動で目の前で認めさせる、自分のコミットメントを実感できるように開かれた運営を行う、といったそれを活するための「手法」、3)は1)2)を可能にしていくための人的物的な「資源の確保」、ということになるだろう。 日常活動を通じて形成された横の繋がりを対行政闘争だけでなく、事業化や、行政との協力プログラム、そして「豊かな野宿生活」「堂々としてた不法占拠」の方向にも発展させていくための様々な試み(1)。それをあくまで大衆性を維持しながら展開し、情報を常に公開・還元していくこと(2)。そしてそれぞれを多くの人的・組織的ネットワークで支えていくこと(3)。野宿という生活環境があまりにも劣悪だから、おざなりな施設、劣悪な労働条件でも「ないよりマシ」と言わざるを得ないので、いい加減な施策ならば歯牙にもかけないような生活居住環境を作り、それを認知させれば、要求水準も自然と向上する。路上に根を張る現在の定住化の方向と路上脱却を実現させる現在の対行政闘争の方向とを対立的に捉えるのではなく、相互補完的にリンクさせること。そこに今後の野宿者運動の追求すべき全体像があるのではないかと思う。 カンパ・賛同金の呼びかけ 団体賛同:一口5000円 個人賛同:一口1000円 賛同金振込先:00170-3-29491「野宿者・人権資料センター」(必ず「東 アジア交流賛 同金」と明記して下さい。 |
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