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昨年8月につづいて、去る6月25日、福岡、東京の拘置所で3人の死刑が執行されました。
 私たちは、すべてのいのちあるものを救わずにおかないと願われている阿弥陀仏の本願に生きようとするものであります。私たちは、その阿弥陀仏の本願の教えを学ぶことによって、現実には人を排除し、切り捨てていく私たちの自身の在り方を問いかえすなかで、変わりつづけ、愛しつづけ、そしてお互いに解放されつづけようと願っています。
 そのように願っている私たちは、ここ数年、継続的に死刑が執行されていることに対して深い悲しみと大きな危惧を抱かざるを得ません。
 死刑によって社会の安寧と秩序が得られるとする死刑制度は、死刑囚と呼ばれる人々にとっても、またその犯罪の被害者になられた人や、その遺族の人々にとっても、残酷な痛ましいものにもかかわらず、余りに安易な制度に思えてなりません。
 いのちの感覚と人としての存在が希薄になり、人命が軽視され、人と人とのつながりを見失っていく現代社会にあって、本当にいのちといのちが出会えるような新たな人間の関係性を回復することこそが切望されています。
 1989年12月、国連総会での死刑廃止条約の採択以来9年、国際社会は確実に死刑廃止に向けての歩みをつづけています。それは、死刑囚と呼ばれる人々のことは勿論ですが、犯罪の被害者となられた人、そしてその遺族の人々とも、新しい関係を模索していく歩みでもあります。被害者やその遺族の人々との悲しみの共有と、償いが可能な社会をつくることこそ、今私たちに求められていることなのではないでしょうか。
 私たちは、死刑制度という、憎しみは育てることがあっても、決して愛すること、悲しむことを育てることのない安易な方法を問いなおすため、ただちに死刑執行を停止し、さまざまな立場の人々と共に考え、議論していく場が開かれることを要望いたします。

1998年6月29日
真宗大谷派宗務総長 能邨 英士


死刑制度を問いなおし死刑執行の停止を求める声明