

9月11日に米国でおきた攻撃は国際的な悲劇となりました。犠牲者は米国市民のみならず、アジア、ラテンアメリカ、ヨーロッパの市民や、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒におよんでいます。実行におよんだ人びとの身元はまだ十分には明らかにされていませんが、その出身はいくつかの国ぐににおよぶという証拠が上げられています。この残虐行為は、世界中の人びとを一気に深い哀しみと怒りに包み込みました。この地球規模の悲劇は地球規模の対応を必要としています。そしてそれは、人権と正義に基づくものでなければなりません。
「断固とした対応」に世界が緊張する中、世界の指導者は戦争という言葉を口にしています。今こそ、私たちは人権の危機を警戒しなければなりません。人権を守る人びとの声が、武力を求める進軍ラッパの音にかき消されてはなりません。いかなる状況にあっても、国家は人権と国際人道法を尊重しなければならないと私たちは主張します。
すでに私たちは、人びとがその外見や宗教のゆえに差別攻撃されるという潮流が動き出したことを目撃しています。危機感が民族差別や排外主義を助長しています。北アメリカやヨーロッパ、その他の地域でイスラム教徒やアラブ人、あるいはシーク教徒が銃で撃たれ、ナイフで刺され、殴打されています。イスラム教寺院が火炎瓶で焼かれました。いくつもの商店が略奪されました。各種学校も脅迫や嫌がらせのため休校に追い込まれています。
自国民であれ、外国人であれ、イスラム教徒やアジア・中東の人びとに対するこうした差別的な攻撃に対し、各国政府は断固とした措置をとらなければなりません。自国内のすべての人びとが平等に保護されていると実感できなければ、どの政府も自由の名において何事も語る資格はありません。
各国政府は「テロリズムに対する戦争」を口実に、市民的自由を制約し統制を強化する法制を導入しようとしています。米国やヨーロッパのいくつかの政府は、犯罪行為の嫌疑がなくとも、移民の拘禁を無期限に認める法律の制定を検討しています。そうした法案が攻撃を抑止する効果は疑わしく、それどころか実際には、異なる意見を封じ込め、基本的自由を制約する恐れがあります。ですから、こうした法案には反対しなければなりません。
治安と個人的自由との均衡を図る過程で、人権を擁護する国際的な保護基準を犠牲にしてはなりません。極端な危機においても、政府には超えてはならない一線があるのです。たとえ、戦時でも、政府は民間人の生命を保護する基本的原則を遵守しなければなりません。
もっとも立場の弱い人びと、自ら圧政や恐怖から逃れようとしている難民や難民としての保護を求める人びとに、危機管理を理由に人道上の犠牲を強いてはなりません。いくつかの政府は、一般の危機意識を利用し、難民の受け入れに関する法律や政策をより厳しいものにしようとしています。オーストラリアと欧州連合は難民の権利を制限し、さらなる人道上の悲劇を招くこととなる法案を急いで成立させようとしています。
史上まれにみる人道上の危機が、アフガニスタンの国境付近で展開しています。すでに飢餓に瀕したアフガニスタンの女性や子ども、さらには男性たちが、軍事攻撃を恐れて国境付近に逃げて来たのを、イランやパキスタンが追い返しているのです。ブラスで起きたコソボ難民の悲劇を繰り返さないためにも、今こそ私たちは行動しなければなりません。国際社会は、アフガニスタン難民の隣国への入国を認めるよう、主張しなければなりません。さらに国際社会は、難民の受け入れについてその費用と責任を分担しなければなりません。
他のあらゆる犠牲者と同様、9月11日の攻撃の犠牲者に報いるのは、復讐ではなく、正義なのです。しかし、どのように正義をもたらすことができるのでしょうか。各国政府は性急に武力行使を選択しようとしています。私たちは人権活動家として、正義は、法の支配のもとでこそもたらすことができると主張し続けなければなりません。容疑者の身柄の確保とそれに続くべき裁判は、武力行使と公正な裁判について規定した国際的に認められた基準にしたがって行なわれなければなりません。また、死刑を適用すべきではありません。
9月11日の攻撃は、国際司法制度の必要性について今一度光を当てるものとなりました。いくつかの残虐行為は、国際社会に対する説明責任を求められています。状況によっては、容疑者を裁判にかけるための国際協力は、国際法廷を設置することによって、より容易になるはずです。不幸にして、米国をはじめ多くの政府は、国際刑事裁判所の設置に関するローマ規程をいまだ批准しておらず、このローマ規程の草案の段階でも、その管轄権を拡大することに抵抗しました。国際的な犯罪に対処するためには国際協力が必須であることが明らかになった今こそ、米国政府は国際刑事裁判所を設置することを支持することを考慮すべきです。
それが世界のマスメディアが注目するなかで殺害されたにせよ、遠く離れた地における紛争で命を失ったにせよ、すべての犠牲者には正義を求める権利があります。9月11日の悲劇への対応が、新たな犠牲者を生み出してはなりません。また、この悲劇が人権を攻撃するための口実として利用されてはなりません。そうではなくて、今回のことを受けて各国政府は、重大な人権侵害のすべての加害者たちの免責を断ち切る、実効的な国際司法制度を構築するために行動することこそを求められているのです――それが行なわれたのが米国であったにせよ、中東であったにせよ、あるいはチェチェンやシエラレオネであったにせよ。
アムネスティ・インターナショナル事務総長
アイリン・カーン
アムネスティ発表国際ニュース
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